仙台


仙台うんちく

東北で一番の大都市、杜の都仙台。仙台がここまで大きくなったのは、伊達政宗の力が大きいと言えます。その証が仙台にはいくつも残されています。

まず、仙台市のマークは伊達家の家紋がモチーフになっていること。そして仙台駅周辺は碁盤目状にきれいに整備されており、これも伊達政宗が基礎を作りました。

仙台湾沿いにある「貞山運河(ていざんうんが)」も伊達政宗が作り、江戸へ米を運搬する体制を整えたのです。貞山とは伊達政宗の法名。

それから北上川水系の流域を整理・開拓して、米の生産量を上げました。また、上方の文化を積極的に導入したことで、桃山文化の特徴とも言える豪華絢爛な建造物が建てられます。それが瑞巌寺や大崎八幡神社です。

宮城県仙台市のイメージが強い伊達政宗ですが、実は秋田県米沢市出身。24歳までをそこで過ごし、その後、豊臣秀吉の命により仙台に転封(てんぽう=領地を別の場所に移すこと)となりました。現在仙台市にある寺社の多くは、この時に米沢から移設されたものです。

伊達政宗は大変優れた戦国武将でありながら、治水や貿易の施策で分かるように、当時の管理職では抜群の才能があったのです。

仙台は「杜の都」と呼ばれていますが、これも伊達政宗が影響しています。政宗は、村人の飢餓を防ぐために庭には栗・梅・柿など実がなる木を植えさせ、隣同士の垣根には杉の木を植えさせたことから、町は緑に包まれました。

「森の都」と表記されていたものが、昭和に入り「杜の都」と表記を変えます。仙台空襲によって杜の都は焼けてしまいましたが、復興する際に政宗の築いた「杜の都」を復元させようと青葉通や定禅寺通などの街路樹が植えられ、青葉山公園や西公園にも緑を多くしました。

人口100万人を超える仙台。実は伊達政宗の功績によって発展した歴史ある街だということを感じながら観光すると楽しいです。

るーぷる仙台

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道順や駐車場の心配もありませんし、車窓から仙台の街並みを楽しみながら移動できます。

バスは15~20分間隔で運行。そのため待ち時間の心配はほとんどありません。今現在、バスがどこを走っているのかをリアルタイムで確認できるサービスも用意されているので、バスを待っている間にトイレを済ませたりコンビニに立ち寄ったりするなど、隙間時間を有効利用できます。

参考URL:どこバス仙台「るーぷる仙台」

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仙台城跡

初代仙台藩主伊達政宗によって慶長6年(1601)に築城を開始した仙台城。元々ここには「千代城(せんだいじょう)」が建っていました。しかし、当時の千代城は城主がいなく荒れ果てた状態でした。

伊達政宗は千代城を「仙人がいる高台」の意味で「仙台城」と改め、新たに仙台城を築きました。天守台は造られたものの、お城の顔ともいえる天守閣は作られず、それは、時の権力者徳川家康に対して敵意のないことを示すためだったとも、天下泰平の世で天守閣が必要なくなったとも言われています。

また、豊臣秀吉に対して目立つ事を避けようとしたという説もあるようです。

当時では最大級の広さの仙台城でしたが、残念ながら明治15年の大火と昭和20年の太平洋戦争の空襲によって建物のほとんどが焼失してしまいました。現在は、当時の石垣と昭和42年(1967)に仙台城で唯一復元された大手門脇櫓(わきやぐら)が見られます。

2003年に史跡「仙台城跡」として登録され、正式名称は仙台城跡ですが、仙台市青葉区青葉山にあった城であることから、「青葉城」や「青葉城址」と呼ばれています。

伊達政宗像

仙台城跡にはお馴染みの「伊達政宗騎馬像」があります。インターネットや雑誌、パンフレットなどで必ずと言っていいほど使われているので、誰しも一度は見たことがあるはず。

この像には気になるポイントがあります。

伊達政宗といえば「独眼竜政宗」で知られているように、幼い頃に天然痘を患い右目の視力を失いました。(萎縮した眼球の摘出説は定かではありません)

そのため黒い眼帯をしているイメージがありますが、伊達政宗騎馬像の正宗は右目がきちんとあります。

実はこの像に限らず、政宗の肖像画などには両目がきちんと描かれているものが数多く見られます。それは政宗が「親からもらった大切な体の一つが欠けてしまったのは不敵であるから、きちんと両目を描くように」と命じたからだそうです。仙台城址にある伊達政宗像に右目があるのも、こうした理由があるからです。

実際には眼帯ではなく、布で覆っていただけのようですが、大河ドラマや様々なメディアの影響で黒い眼帯のイケメン男性のイメージが強い伊達政宗は、若い女性にも大変人気です。

また、伊達政宗は大胆な行動が目立ちますが、料理や和歌などをたしなみ、筆まめな一面もありました。「真実の心」をもって人と接することを重んじた真っ直ぐな性格もまた、時代を超えて多くの人々から愛される理由なのかもしれません。

伊達政宗騎馬像の政宗は鎧兜を身にまとっています。政宗の特徴である左右非対称の三日月形の前立てをつけた兜。スタイリッシュでかっこいい、このデザインを決めたのは伊達政宗の父、伊達輝宗(だててるむね)でした。

政宗が生まれた時に旗印を太陽のイメージで、白地に赤い日の丸の旗にしたので、兜の前立ては月にしました。満月にすると太陽の丸と被ってしまうから三日月型。これから月が満ちるという意味も込められているのでしょうか。子供の出世を願った父親の愛情です。

下から見上げる政宗像はとても大きく力強く見えますが、政宗の身長は159.4cmで現代の男性と比べれば小柄に感じます。しかし、当時では平均的な身長だったようです。また、手足の骨が太く筋肉隆々な鍛え上げられた体ということも分かっており、政宗像はまさしくその姿を忠実に再現していると言えます。

政宗像がまたがっている馬は、伊達政宗の愛馬「後藤黒」(五島黒ともいう)と言います。

後藤孫兵衛信康より献上された黒い馬であったことからその名が付けられていますが、後藤黒は幾多の戦を伊達政宗と共に戦ってきました。しかし、政宗は大阪冬の陣の際に老馬になってしまった後藤黒を置いていきます。すると、それを悲しんだ後藤黒は仙台城本丸から崖下へと飛び降り亡くなってしまいます。

後藤黒の死を悲しんだ政宗は、仙台城本丸の崖下に馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)建て、供養しました。明治4年に神社は片平丁に移転しますが、元々あった場所には祠が建てられています。今でも祠まで行くことは可能です。

青葉城資料展示館

伊達政宗騎馬像の近くには「青葉城資料展示館」があります。ここでハイビジョンCG映像による仙台城の内部を見学できます。

大火と空襲によって失われた仙台城ですが、現代のコンピュータ技術によって忠実に復元されました。

仙台城は桃山の文化に影響を受けた、それはそれは豪華絢爛な内装。430畳もある大広間、襖絵や壁画、天井までも金色に輝き、挿絵も見事。映像で見ればイメージが湧きやすくなりますし、仙台城についての理解も深まります。

映像の他にも伊達家に関しての展示物があるので、映像上映の待ち時間でも色々と勉強になります。広い仙台城のジオラマや、大広間・本丸などの模型もあるので、青葉城址に訪れた時には先に青葉城資料展示館を見学してから、実際の大広間跡地や石垣を見学すると「さっき見た模型がここにあったんだ」と、想像が膨らみます。

青葉城資料展示館入場料
大人700円(500円)・中高生500円(300円)・小学生300円(200円)
※()内はるーぷる仙台一日乗車券購入特典、青葉城資料展示館ホームページ掲載の入場割引券を提示した際の金額

青葉城資料展示館と併設されて「青葉城本丸会館」があります。いわゆる観光地にある土産物や食事処ですが、ここには人気店が軒を連ねています。

伊達政宗に関する土産はもちろんのこと、仙台といえば!の土産やスイーツショップ、仙台駅牛タン通りにも店を構えている「伊達の牛たん本舗」もあるので、是非覗いてみてください。

瑞鳳殿

寛永13年(1636)、伊達政宗は70歳でこの世を去りました。その亡骸は政宗の希望により経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)瑞鳳殿(ずいほうでん)に納められました。

瑞鳳殿には全部で3基の霊屋があり、瑞鳳殿が一番見事な装飾ですが感仙殿・善応殿もなかなか見事です。

瑞鳳殿・・・仙台藩祖伊達政宗
感仙殿・・・二代藩主伊達忠宗
善応殿・・・三代藩主伊達綱宗

仙台城址から徒歩で約2.6km(約40分)の場所にある伊達政宗の瑞鳳殿は、寛永14年(1967)に建設され、その後国宝に指定されました。しかし、昭和20年の太平洋戦争の空襲によって焼失してしまいます。現在の瑞鳳殿は、昭和54年(1979)に再建されたもの。感仙殿・善応殿もそれぞれ昭和60年に再建されています。

桃山時代の豪華絢爛な廟建築は、栃木県の日光東照宮を連想させるような色使い。日光東照宮につぐ廟といわれるのも納得です。

しかし、ただ豪華絢爛なだけではありません。非常に精巧にできている数多くの彫刻にはそれぞれ意味があり、普通に見て回ると1時間もうあれば十分に観覧できますが、ひとつひとつじっくり見て回るともう少し時間が必要かもしれません。

瑞鳳殿を再建する前に墓の発掘調査が行われました。すると、伊達政宗のほぼ完全な遺骨とともに数多くの埋蔵品が出土しました。

境内には資料館があり、そこでは発掘調査の様子を約20分の記録映画として上映している他、遺骨から再現した伊達政宗等身大モデル像は一見の価値ありです。

瑞鳳殿観覧料
大人550円(450円)・高校生400円(350円)・小中学生200円(150円)
※()内の金額は、るーぷる仙台一日乗車券購入特典を提示した際の金額。

瑞鳳殿では土日を中心に予約不要で無料のガイドサービスを行っています。パンフレットには載っていない細かな説明を、わかりやすく解説してくれます。紫色の陣羽織を着たボランティアスタッフを見つけたら、ぜひ声を掛けてみてください。

瑞鳳殿はかなりの急な坂道を上った先にあり、さらにそこから急な階段が続きます。雨の日は滑りやすいので歩きやすい靴で行くことがお薦め。杖の貸し出しもあるので、若い人でも積極的に利用しましょう。

仙台駅の牛たん通りと牛タン

仙台観光で外せないのが地元のグルメ「牛タン」です。

せっかく仙台まで訪れたのだから牛タンの有名店に行ってみたいけど、場所も分からないし時間もあまりない…そんな時には王道な牛たん通りに行ってみましょう。

JR仙台駅の3階は、新幹線の改札口と飲食街のフロア。その一角に「牛たん通り」と呼ばれるエリアがあります。(アクセス最高!)

仙台の中でも有名な牛タン専門店が軒を連ね、観光客を出迎えてくれます。各店舗の前には写真付きのメニューが用意されていて、どのお店で食べようか比較したり迷ったり。わくわくする時間です。

それぞれの店舗では味に特徴を出していますが、牛タンの歴史は大切にしているそうです。

牛タン定食には麦飯・とろろ・テールスープがセットで提供されることが多いですが、理由を知っていますか?

そこには戦後の貧しかった日本の食事情があります。牛タン焼き発祥の店「元祖味太助」が、米国人が食べずに捨てた牛の舌や尻尾を料理にアレンジ。それが仙台の牛タンの始まりです。

白米も満足に食べられなかった時代だったので、麦飯が提供されました。当時の麦飯よりは今のよりも粒が大きくザラザラして喉通りが悪かったので、麦飯にとろろをかけることで食べやすく工夫。麦飯は食物繊維が豊富で牛タンも脂肪やカロリーが少ないので、とてもヘルシーな組み合わせです。

牛の尻尾はテールスープに使用。材料を一切無駄にしなかったのです。

観光客の中にはスープの中に入っているテールは、だし取り用だと思って食べない人がいるようです。しかしそれは実にもったいない!ほろほろして旨味が染みているテール肉をほじりながら食べてみましょう。

肝心の牛タンはどのお店も柔らかく、そして食べやすく作られています。牛タン目当てで観光に来た人は、連日牛たん通りに足を運び食べ比べする人もいるほどなのだとか。そんな仙台観光も面白そうです。

ずんだ

仙台スイーツの王様的存在「ずんだ」。少々変わったネーミングです。

茹でても固かった豆をすり潰す前に叩いたから「ずだ(豆打)→ずんだ」。または、伊達政宗が出陣の際に、陣太刀で枝豆を砕いて食べたから「じんだち→ずんだ」などと言われていますが、他にも諸説あるようです。

ずんだといえば、枝豆を潰し砂糖と混ぜてお餅と一緒に食べるずんだ餅が定番。しかし最近では、ずんだシェイクやずんだパフェ、ずんだと生クリームがコラボしたたい焼きなど、ずんだスイーツ巡りをしたくなるような魅力的なメニューが次々と登場しています。

仙台味噌

仙台味噌は長期熟成タイプの辛口赤味噌。実は伊達政宗が発明したのです。日本で初めて味噌工場を作ったのも政宗。仙台城下に「御塩噌蔵(おえんそぐら)」と呼ばれる味噌工場がありました。どれほど料理が好きだったのか伺えます。

赤味噌は他の味噌に比べて抗酸化作用が強く、精が出る食べ物として当時の武将が積極的に食しました。また、長期熟成タイプの仙台味噌は長い出陣の間でも変質しなかったことが評判になり、全国的に広まっていったのです。

仙台味噌は「なめみそ」とも呼ばれるほど、そのまま食べられて風味が高いのが特徴。そのため、調味料としてはもちろん、冷奴に添える、大葉で巻いてご飯のお供にする、など料理のバリエーションが広がります。

砂糖と混ぜた仙台味噌を、仙台名物笹かまぼこに塗って食べても美味しいく、お土産の定番になっています。

最近では「仙台味噌プリン」や「仙台味噌ジェラート」などスイーツも登場しています。味噌の香りが感じられる奥深い味わいです。

また、仙台駅周辺には仙台味噌料理専門店があります。お薦めは「牛タン仙台味噌焼き」と、炊きたてが提供される宮城名物「はらこ飯土鍋炊き」。

地元食材にこだわった「古々がみそ」は地元の人々にも人気の居酒屋です。宮城の地酒と共に楽しみたいです。

「古々がみそ」仙台駅前店
宮城県仙台市青葉区中央3-1-21 仙台駅前ビルEAST7F
「古々がみそ」一番町店
宮城県仙台市青葉区一番町4-9-1 かき徳ビル2F

夏の仙台と冬の仙台

七夕まつり

東北三大祭りの一つ「仙台七夕まつり」は伊達政宗の時代から続く歴史ある祭りです。伊達政宗も七夕まつりに関する和歌を詠んでいるほど、江戸時代の七夕まつりは「たなばたさん」と呼ばれ、親しまれた大切な祭りでした。

同じ三大祭りの「青森のねぷたまつり」や「秋田の竿燈まつり」は神を送り出す行事ですが、仙台の七夕まつりは「田の神様をお迎えし、豊作を祈る」ための行事です。

今では毎年200万人以上の観光客が押し寄せる人気の祭りとなり、各商店や企業が商売繁盛や無病息災を願って、色とりどりの吹き流しや笹飾りを設置し、そのデザインを競い合います。

作った人達の思いが詰まっている、繊細な和紙で作られた5連の吹き流しがアーケードを埋め尽くす様子は圧巻のスケールです。

七夕まつりは毎年8月6日~8日に開催。

SENDAI光のページェント

仙台の冬の風物詩「SENDAI光のページェント」は全国的にも有名なイルミネーションです。

昭和61年(1986)に、「杜の都から光の都へ」を理念に市民ボランティアが定禅寺通りと青葉通りのケヤキ並木にイルミネーションを施しました。夏は緑いっぱいの通りが秋に落葉し、冬は光の葉に変わり、文字通り、杜の都から光の都に衣替え。

SENDAI光のページェントは専用LED「仙台カラー」で統一されています。オレンジ系でしょうか、心にポッと火が灯った時のような温かみのある色。統一感があり洗練されていてお洒落。仙台の街のイメージに合っています。

1日3回行われる「スターライト・ウィンク」は、現地で体験していただきたい素晴らしい瞬間。全ての明かりが約1分消灯し、その後一斉に点灯!点灯した瞬間は歓声が湧き上がり、鳥肌が立ちます!

お薦めの観覧ポイントは中央分離帯の遊歩道です。人気の場所なので消灯5分前には待機したいです。点灯した瞬間、左右から光に包まれてヒロイン気分を味わえます。

約60万個ある膨大な数の仙台カラーの中で、たった1つだけピンクの電球が混じっているとウワサがあります。それを見つけられたら2人の愛は永遠に続くのだとか。カップルで訪れたら是非見つけたいです。

しかし、このピンクの電球はSENDAI光のページェント実行委員会が行っているのではないそうです。では一体誰が・・・?一説によると協賛企業が仕込んだとも、ピンクはもうなくなったとも言われていますが、このような遊び心は続けてもらいたいものです。

SENDAI光のページェントは毎年12月初旬~31日まで開催。

るーぷる仙台特別運行

仙台七夕まつり期間中は瑞鳳殿参道や境内が、そして仙台城跡では政宗公騎馬像のライトアップや伊達武将隊による夜間演武が行われます。

そのため、るーぷる仙台は「七夕ナイト号」を夜間特別運行します。

そして、仙台光のページェント期間中もまた「光のページェント号」を運行。

仙台駅発着で、定禅寺通り~青葉通り区間のイルミネーションを目線が高くなる車窓から眺めることができます。

それぞれ日中の観光で利用した「るーぷる仙台一日乗車券」で乗車することが可能です。

どちらも期間限定で大変混雑しますが、一度は実際に見ておくべき素晴らしい祭りやイベント。この時期に仙台観光を計画してみてはどうでしょう。


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